三輪昇平(みわ しょうへい)
   創心義塾 塾長 
   株式会社 ヒューマン 代表取締役



1973年

 姫路市生まれ

 小学校の時、3回も転校を繰り返し、友達ができた喜びと別れる悲しみを経験しました。

 8歳の時、母が交通事故で他界。冬の冷たい風が吹くお葬式の日、母の優しい温かみを思い出しながら、コタツの中で大泣きしたことを記憶しています。

 ちなみに、中学生の時は中森明菜の大ファンだったので、彼女がCMに出ていた明治チョコレートをよく食べていました。


1988年

 明石西高等学校入学(15歳)

 先生からの薦めで、生徒会執行部の会計をつとめました。

 小さい頃から絵を描くことが好きだったので、この頃に設計士になろうと決意。



1992年

 岡山大学入学(19歳)

 生活費を稼ぐために、学習塾の講師(5年間)と家庭教師(十数人)のアルバイトを開始。

 同じ授業をしているのに、成績が上昇する生徒とそうならない生徒がいたことに、疑問を抱くようになりました。完璧主義の私は、その原因を見つけるために、「人間の能力」、「人の心」について勉強し始めました。



1996年

 岡山大学 工学部卒
 岡山大学 大学院 工学研究科 入学(23歳)

 同大学院工学研究科では、民間企業との共同研究で新しいコンクリートの研究を行いました。

 予想通りの研究結果が得られず、その原因を追究する新たな研究も始めたのですが、
これがとても大変。

 この経験から、ひ弱だった私の精神は成長し、「諦めない心の大切さ」を学びました。

 なお、研究から学んだ創造するプロセスが、創心義塾における学習指針の柱になっています。


1998年

 岡山大学 大学院 工学研究科 修了
 建設コンサルタントに入社(25歳)

 建設コンサルタントの仕事とは、事業者(国、県、市など)が「道」や「橋」の計画や設計を支援する仕事です。 交通基盤の計画や設計の仕事も、何もない所に一から物を作るという、創造するプロセスの仕事です。国道1号線のバイパス橋梁設計プロジェクトでは、事業者より表彰を頂きました。

 会社勤めを始め、社会人に必要な力というものを痛感するようになり、様々なビジネス書から必死に採り入れました。

 大人になってから重視される能力・社会人としてのノウハウを、小学校から大学に至るまで、まともに教えていないのです。そもそも、社会経験の乏しい教師が多い中、企業側のニーズを理解している先生がいたかどうか。

 社会で生き残る力を教える場所がないのであれば、自分が提供しようと決意。



2007年

 「株式会社ヒューマン」設立 代表取締役(34歳)
 「創心義塾」設立 代表(34歳)


 学級崩壊・学力低下が叫ばれる時代に、「自立した人生を歩むために必要な学びとは何か」を探求し、受験勉強だけで終わらない教育を実践するために、株式会社ヒューマンを設立。


 ・周りの人をサポートして、喜んだ笑顔を見ること
 ・問題があれば、その原因を探し、改善策を考えること。
 ・スキー、スノーボードを通じて、人と交流すること。
 ・ゴルフボールを打って失敗した時に、大笑いすること
 (負けず嫌いなので、ラウンド終了後、ゴルフ練習所へ直行)







         

新コンセプトの提案 / コース紹介 / 悩みを解決する魔法 / HOME / なるほど情報 / 塾案内
塾運営の心構え / 無料授業